英語を学ぶ中で「Think in English」、つまり英語で考える力を養うには、単なる文法や会話練習だけでなく、英語圏の文化や思想の源流に触れることも必要になります。その最も重要な入り口のひとつが「聖書」です。
聖書は宗教書であると同時に、文学・哲学・政治思想・日常表現に多くの影響を与えてきた「文化的古典」です。英語文化を根本から理解するために、まず聖書を知ることは大きな意味を持ちます。
聖書由来の表現に触れる
英語には聖書を背景にした表現が数多く生きています。主なものとして以下のようなものがあります。
表現 | 意味 | 出典(聖書の背景) |
---|---|---|
the powers that be | 権力者たち | ローマの信徒への手紙13:1「存在する権威はすべて神によって立てられたもの」 |
by the skin of one’s teeth | かろうじて | ヨブ記19:20「歯の皮一枚で助かった」 |
labour of love | 好きでやる奉仕 | コリント人への第一の手紙16:14 など「愛をもって行う労苦」 |
the writing on the wall | 破滅の前兆 | ダニエル書5章、バビロン王の宴で壁に現れた文字 |
cast the first stone | 最初に非難する | ヨハネによる福音書8章、姦通の女を石打ちにしようとする群衆にイエスが語った言葉 |
salt of the earth | 誠実で尊敬される人々 | マタイによる福音書5:13「あなたがたは地の塩である」 |
see eye to eye | 意見が一致する | イザヤ書52:8「目と目を合わせて喜び歌う」 |
the good Samaritan | 親切な人 | ルカによる福音書10章「善きサマリア人のたとえ」 |
the prodigal son | 放蕩息子、改心して戻る人 | ルカによる福音書15章「放蕩息子のたとえ」 |
the forbidden fruit | 禁断の果実、魅惑だが危険なもの | 創世記3章、エデンの園の「善悪の知識の木の実」 |
to offer someone an olive branch | 和解を申し出る | 創世記8章、ノアの洪水後にハトがオリーブの枝を持ち帰った |
exodus | 大移動、大量退去 | 出エジプト記(Exodus)、イスラエルの民がエジプトを脱出する物語 |
the wisdom of Solomon | 賢明な判断 | 列王記上3章、ソロモン王の知恵で子を裁く逸話 |
days are numbered | 残された時間が限られている | 詩篇90:12「我らの日を数えることを教えてください」 |
go the extra mile | さらに努力する、期待以上に尽くす | マタイによる福音書5:41「1マイル行けと強いるなら、2マイル行け」 |
これらは聖書の物語や比喩に由来します。文学やドラマ、映画、ビジネスシーンなどでも目にすることがあるかと思います。聖書を英語で読むことは、日常表現や文学作品を深く理解する力を与えてくれます。
聖書は元々 ヘブライ語(旧約)・ギリシャ語(新約) で書かれたものであり、英語で書かれたわけではありません。それでも英語文化に強大な影響を与えたのは、英語版聖書の翻訳と普及に深く関係しています。
英語版聖書の成立過程と英語文化への影響
- ラテン語からの翻訳の時代
中世ヨーロッパでは、聖書は主にラテン語(ウルガタ訳)で流布しており、一般庶民が直接読めるものではありませんでした。そのため聖書の解釈は教会に独占され、人々は説教を通して間接的に触れるだけでした。 - 英語への初期翻訳(ウィクリフ聖書, 14世紀)
ジョン・ウィクリフとその仲間たちがラテン語から英語へ翻訳したのが最初期の「英語聖書」です。これは教会の権威と対立しましたが、「人々が自分の言葉で聖書を読む」という発想を広めました。 - 宗教改革と印刷術(ティンダル聖書, 16世紀)
16世紀の宗教改革期、ウィリアム・ティンダルがギリシャ語・ヘブライ語から直接英語に翻訳した聖書を出版しました。印刷術の普及もあり、一般の人々が自分で聖書を読む時代が始まりました。これが「聖書を英語で読む文化」の基礎をつくりました。 - 欽定訳聖書(King James Version, 1611年)
イングランド王ジェームズ1世の命により翻訳された KJV:King James Version は、荘厳で詩的な文体が特徴で、以後400年以上にわたり英語文化に絶大な影響を与えました。英文学や政治演説、日常表現に至るまで、KJVのフレーズが織り込まれています。 - 近代以降の多様な翻訳
20世紀以降、現代英語への翻訳(NIV:New International Versionなど)が登場し、さらに読みやすくなりました。それでも「KJVの響き」は今なお「美しい英語」「権威ある言葉」として引用され続けています。
近現代英語の主要な翻訳と特徴
King James Version (KJV, 1611年)
- 特徴:荘厳で詩的な古典的文体。英文学や政治演説に最も引用される。
- 利点:美しい英語表現を学べる。
- 注意点:語彙や文法が古く、初心者には難しい。
New King James Version (NKJV, 1982年)
- 特徴:KJVの文体を保ちながら、現代英語に修正。
- 利点:古典の響きを残しつつ読みやすい。
New International Version (NIV, 1978年/2011年改訂)
- 特徴:最も広く読まれている現代英語訳。平易で理解しやすい。
- 利点:初心者から上級者まで幅広く使える。
- 用途:学習・礼拝・日常読書に適している。
New Revised Standard Version (NRSV, 1989年)
- 特徴:学術的に信頼性が高く、大学や神学教育で広く使用。
- 利点:注釈や原典に忠実な翻訳。
- 注意点:文体はやや硬め。
English Standard Version (ESV, 2001年)
- 特徴:直訳に近く、KJVをベースに現代的に調整。
- 利点:厳密な訳を求める人向け。
- 注意点:表現が硬い部分もある。
New Living Translation (NLT, 1996年)
- 特徴:意訳に近く、非常に読みやすい。
- 利点:物語を楽しむように読みたい初心者向け。
- 注意点:原文に厳密さを求める学習には不向き。
Contemporary English Version (CEV, 1995年)
- 特徴:平易な現代英語。子どもや英語学習者にも適する。
- 利点:短文中心で読みやすい。
学習者へのおすすめガイド
選び方の一つの目安は、読みやすさ重視なら NLT/CEV、標準的でバランスの良さを求めるなら NIV(広く用いられる現代英語訳)、学術的な厳密さを重視するなら NRSV/ESV、古典的な美文を味わうなら KJV/NKJV となります。
- NLT: 意訳寄りで読みやすい。
- CEV: 子どもや初心者向けに簡潔。
- NIV: 現代で最も広く使われる訳。平易で標準的。
- NRSV: 学術的に信頼性高い。
- ESV: 原典に忠実。やや硬い。
- KJV: 古典的美文。難易度高い。
- NKJV: KJVを現代化。美文と読みやすさを両立。
聖書が英語文化に与えた影響
- 言語表現:KJVは比喩やリズムが豊かで、英文学の文体モデルとなった。
- 思想の普及:個人が聖書を読めるようになったことで、「信仰の自由」や「個人主義」の発展につながった。
- 民主主義との関係:聖書が「万人が直接神と向き合う」ことを強調したことは、民主主義的精神の広がりを後押しした。
聖書の全体構成を知る
聖書は大きく 旧約聖書(Old Testament) と 新約聖書(New Testament) に分かれています。
- 旧約聖書(Old Testament)は、ユダヤ教の聖典を土台とし、天地創造からイスラエル民族の歴史、律法、知恵文学、預言者の言葉を収めています。キリスト教徒にとっても「神との最初の契約」を示す書物として重要です。
- 新約聖書(New Testament)は、イエス・キリストの生涯と教えを中心にまとめられた書物群で、「新しい契約」を意味します。イエスの福音、初代教会の成り立ち、使徒たちの手紙、そして黙示録が含まれます。
「旧約=古い契約」「新約=新しい契約」という名称は、神と人との関係性が「律法に基づく契約」から「信仰と愛に基づく契約」へと移り変わったことを示しているとされます。
※ちなみに「旧約・新約」の区分はキリスト教における理解です。ユダヤ教においては、旧約に相当するタナハ(ヘブライ語聖書)が唯一の正典であり、新約は含まれません。
各聖書の構成と、それぞれの書がどのような内容になっているかは以下のとおりです。
旧約聖書(39巻)
区分 | 書名(英語) | 邦訳タイトル |
---|---|---|
律法(トーラー) | Genesis | 創世記 |
Exodus | 出エジプト記 | |
Leviticus | レビ記 | |
Numbers | 民数記 | |
Deuteronomy | 申命記 | |
歴史書 | Joshua | ヨシュア記 |
Judges | 士師記 | |
Ruth | ルツ記 | |
1 Samuel / 2 Samuel | サムエル記上・下 | |
1 Kings / 2 Kings | 列王記上・下 | |
1 Chronicles / 2 Chronicles | 歴代誌上・下 | |
Ezra | エズラ記 | |
Nehemiah | ネヘミヤ記 | |
Esther | エステル記 | |
詩歌・知恵書 | Job | ヨブ記 |
Psalms | 詩篇 | |
Proverbs | 箴言 | |
Ecclesiastes | 伝道の書 | |
Song of Solomon | 雅歌 | |
大預言書 | Isaiah | イザヤ書 |
Jeremiah | エレミヤ書 | |
Lamentations | 哀歌 | |
Ezekiel | エゼキエル書 | |
Daniel | ダニエル書 | |
小預言書 | Hosea ~ Malachi(12書) | ホセア書~マラキ書 |
- 律法(トーラー、モーセ五書):
神が与えた掟や規範を中心とし、人間と神との契約の出発点を記す。 - 歴史書:
イスラエル民族の歴史を描き、共同体のアイデンティティと信仰の歩みを記録。 - 詩歌・知恵文学:
祈り、賛美、格言を通じて人生観や倫理観を表現。今も文学的価値が高い。 - 預言書:
神の言葉を告げ、社会への警告や希望を語る。英語文化の修辞や象徴表現に影響。
新約聖書(27巻)
区分 | 書名(英語) | 邦訳タイトル |
---|---|---|
福音書 | Matthew | マタイによる福音書 |
Mark | マルコによる福音書 | |
Luke | ルカによる福音書 | |
John | ヨハネによる福音書 | |
歴史書 | Acts | 使徒行伝 |
書簡 | Romans ~ Jude(21書) | ローマの信徒への手紙~ユダの手紙 |
預言書 | Revelation | ヨハネの黙示録 |
- 福音書(新約):
イエスの生涯と教えを伝える。英語文化における「愛」「赦し」「希望」の概念の基盤。 - 使徒行伝・書簡:
キリスト教共同体の誕生と拡大を記録し、信仰生活の指針を提示。 - 黙示録:
終末と新しい世界への希望を描く象徴的な書。西洋文学や芸術に大きな影響を与えた。
聖書の思想的背景
- 契約の精神
旧約の中心には「契約(Covenant)」があります。神と人間、共同体との間で契約が結ばれ、遵守が求められます。この「契約」の概念は英語圏社会における契約文化(contract society)の基盤となり、法治や民主主義の思想へと結びつきました。 - 言葉の力
「はじめに言があった(In the beginning was the Word)」という表現があります。言葉が現実を創造するという思想は、英語圏の「言葉を明示する文化」、契約やスピーチの重視に直結しています。
※補足:「はじめに言があった」はヨハネによる福音書1:1の表現です。なお、創世記1:1は「はじめに神は天地を創造された」です。 - 個人と責任
旧約では「罪と罰」が、そして新約では「救済と赦し」が語られます。個人が自らの責任を自覚すること、行為を問われることが強調され、これは英語圏の「個人主義」や「責任の明確化」と響き合います。 - 愛の概念
新約聖書における「アガペー(無償の愛)」は、慈善や博愛の思想の源泉となり、love your neighbor as yourself(隣人を自分のように愛しなさい)という教えは、社会倫理にまで影響を与えました。 - 時間と歴史観
聖書は「始まり」と「終末」が明確に描かれる直線的な歴史観を持っています。この「直線的時間感覚」は、英語圏の進歩主義や未来志向につながっているとされます。
つまり聖書は、英語の語彙や表現だけでなく、英語を使う人々の考え方そのものを方向づけた思想的背景を提供しているといえます。
初学者におすすめの読み方
全巻を一気に読む必要はないかと思います。まずは「短く、象徴的な部分」に触れるのがおすすめです。有名な章や逸話パートから始めるのがよいです。
1. 創世記(Genesis)第1章〜第2章
天地創造から人類の誕生までを描く。簡潔で荘厳な表現が続き、聖書の導入に最適。
2. 詩篇(Psalms)
祈りや賛美が中心で短い章が多い。リズムが心地よく、繰り返しの多い言葉が英語学習にも適している。
3. ヨハネによる福音書(John)第1章
「はじめに言があった」で始まる象徴的な冒頭は、言葉と存在の関係を考えさせる深い文章。
4. 山上の垂訓(Sermon on the Mount, Matthew 5–7章)
イエスの代表的な教え。「心の貧しい人は幸いである(Blessed are the poor in spirit)」など、格言的表現が豊富。
5. 善きサマリア人のたとえ(The Parable of the Good Samaritan, Luke 10:25–37)
日常英語表現 the good Samaritan の由来。物語が短く理解しやすい。
6. 放蕩息子のたとえ(The Prodigal Son, Luke 15:11–32)
人間性と赦しを描いた物語で、文化的に引用頻度が非常に高い。
英語版聖書を無料で読む方法
英語版聖書はネット上でも公開されており、無料で読むことができます。
- Bible Gateway(https://www.biblegateway.com/)
KJV, NIV など主要訳を無料で読める - Blue Letter Bible(https://www.blueletterbible.org/)
原文や注釈と並行して読める - Project Gutenberg(https://www.gutenberg.org/)
King James Version を全文ダウンロード可能
オンライン環境さえあれば、誰でもすぐに「英語で聖書を読む」学習を始められます。また以下のようなサービスやアプリで、無料・有料のオーディオ聖書も利用できます。
- Bible Gateway Audio Bibles
KJV, NIV をはじめ、複数の英語訳を朗読音声で聴けます。ナレーターも選択可能。 - YouVersion Bible App(無料アプリ)
世界中で利用されている聖書アプリ。NIV, KJV, ESV などの朗読が搭載されており、スマホで気軽に再生可能。 - LibriVox
著作権の切れた King James Version の朗読をボランティアが録音。無料で全巻ダウンロード可能。 - Audible(オーディブル)
Amazonのオーディオサービス。有料ですがプロのナレーターによる The Holy Bible (KJV/NIV) のオーディオブックが多数。リスニング教材として質が高い。
学習に活かすコツ
- 音読と合わせる:自分でも声に出して読むとリズムを身につけやすい。
- 短く聴く:1章(数分)単位で区切り、毎日少しずつ聴く。
- 繰り返す:同じ章を何度も聴くことで、言葉のリズムが自然に定着する。
- 並行読書:英文を目で追いながら音声を聴くことで、リスニングとリーディングが同時に鍛えられる。
まとめ
聖書は英語圏の文化、思想、日常表現に計り知れない影響を与えてきましたので、「英語学習の教材」であると同時に、「英語文化の母体」でもあります。
- 聖書由来の表現は、今も生きた英語として使われている
- 旧約と新約の全体構成を知ることで、英語文化の背景理解が深まる
- 思想的背景を学ぶことで、英語の奥行きを体験できる
- 無料のオンラインリソースを利用すれば、すぐに学習を始められる
短い章や象徴的なたとえ話から始めて、少しずつ「英語で聖書を読む体験」を積み重ねてみることで、英語で考える力を養う道にも繋がっていくと思います。
参考
最初から全て英語でというのがハードルが高い場合は、準備段階として、日本語で聖書について書かれた本やサイトで学ぶことも理解の助けになると思います。平易な初学者向き英語で書かれた和英対照版なども出ていますので、参考にしてみてください。
- 聖書を知る – 日本聖書協会ホームページ
- 『新共同訳 和英対照聖書 NITEV44DI』(Amazon)
- 『英語でハッとする聖書の話』(Amazon)