私たちはふだん当たり前のように日本語を使って生活していますが、その「言葉の枠組み」が、私たちの思考や感覚にどのような影響を与えているかを意識することは少ないかもしれません。近年、「言語は思考のスタイルを方向づける」という視点が、多くの研究で示されています。
英語と日本語の比較を軸に、「色」「方角」「時間」「数」「名詞」などの切り口から、言語が思考に与える影響を探ります。さらに、他の文化と言語も参照しながら、多言語的視点の大切さについても考えてみます。
色の捉え方──「青」と「緑」は別物?
日本語では「青信号」「青りんご」といったように、緑系統のものを「青」と呼ぶ表現が残っています。一方、英語では “green” と “blue” は明確に分けられており、色の境界がはっきりしています。
ロシア語ではさらに細かく、”goluboy”(薄い青)と “siniy”(濃い青)を別の単語として区別します。このように、色を表す語彙が豊富な言語では、色の識別能力が高くなるという研究もあります。つまり、言語が私たちの知覚の精度や注意の向け方に影響を与えています。
方角──「右」と「東」は同じなのか?
日本語や英語では、「右」「左」「前」「後ろ」といった身体を基準にした表現(相対方位)が基本です。しかし、オーストラリアのアボリジニの一部民族が使う「クク・タイヨール語」では、常に「東」「西」「北」「南」(絶対方位)を用います。
たとえば「アリがあなたの南東を横切っている」といった言い方が、日常会話で普通に使われます。このような言語環境では、話者は常に自分の方角を意識するようになり、実際に非常に高い空間認識能力を示すことがわかっています。
時間の捉え方──未来は前か、後ろか?
英語では、”the future is ahead”(未来は前)”the past is behind”(過去は後ろ)という概念が一般的です。時系列は左から右へと流れるイメージで、グラフや図表にもその傾向が見られます。
ところが、南米の先住民族アイマラ族の言語では「過去が前」「未来が後ろ」と表現します。彼らにとって「見える=経験済みの過去」が前にあり、「見えない未来」は後ろという感覚なのです。このように、時間の空間的なイメージも、言語によって大きく異なります。
数の概念──数えることは当たり前か?
日本語や英語では、1から無限までの数を容易に扱うことができます。しかし、アマゾンのピラハン語には「1」「2」「たくさん」という表現しかなく、正確な数を数える語彙がありません。そのため、5個の物と6個の物を区別するのが難しいとされます。
このように、数の語彙が少ない言語では数量の判断力そのものに制限がかかることが実証されており、言語が思考能力に直接影響を及ぼす典型例といえます。
名詞と分類──世界をどう切り取るか
英語では、名詞に冠詞(a, the)や複数形の -s がつくため、常に「一つなのか」「それと他に違いがあるのか」といった区別が求められます。これは、世界を細かく分類しながら捉える認知スタイルにつながっています。
日本語では、名詞に数や冠詞をつける必要がないため、文脈に応じたあいまいさが許容されます。たとえば「犬がいる」と言った場合、それが一匹なのか数匹なのかはっきりしないこともあります。
また、中国語や韓国語などでは、「一冊の本」「一匹の犬」のように量詞(分類詞)を必ず使います。これにより、「物の形状や性質」に応じて分類する意識が育ちやすいといえます。
文構造の違い──論理展開にも影響がある
英語は主語・動詞・目的語の語順が明確で、「論理の順番」に沿って話を展開します。一方、日本語は主語の省略が多く、文末まで話を聞かないと意味が確定しないこともしばしばあります。
この構造の違いは、話の構成やプレゼンテーションのスタイルにも影響します。英語では結論を先に述べる「結論→理由」のスタイルが基本ですが、日本語では「状況説明→結論」という構成が好まれる傾向があります。
また、日本語では文脈依存の表現が多いため、「空気を読む」「察する」といったスキルが必要ですが、英語では「明確に言葉にする」ことが基本です。この差は、思考のスタイルそのものを大きく変える要因となっています。
言語は思考を縛るのではなく、方向づける
サピア=ウォーフ仮説では「言語が思考を規定する」とされますが、現在の認識では「言語は思考の方向性を強めるが、制限するものではない」とされています。つまり、ある言語を話すことで「見えやすくなる世界」がある、ということです。
日本語と英語を比較することで、「当たり前」の裏にある文化的前提が可視化されます。さらに第三の言語を学ぶことで、「ものごとをどう認識するか」「どう伝えるか」に柔軟性が生まれます。
複数の言語は複数の世界の入り口
言語は単なるコミュニケーションの手段ではなく、思考の枠組みそのものです。英語を学ぶということは、英語を使う人々の世界観に触れることであり、日本語の特徴に気づくことでもあります。
日本語での「曖昧さ」「空気を読む」文化は、英語から見ると独特です。一方で、英語の「明確さ」「合理性」もまた、異なる視点を私たちに与えてくれます。
複数の言語に触れることで、私たちは「複数の世界の見方」を身につけることができます。一つの言語の考え方に縛られないという意味での多様性は、重要な知識になるかと思います。